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様々なことがお金に換算される

お金を自分なりに定義するのは、難しいことです。世の中では、様々なことがお金に換算されます。

ビジネスやスポーツの結果はもちろん、本来はプライベートな家族のトラブルや揉め事もお金に換算されます。

また経済活動においても、お金は血液の循環のように考えられます。そして一国のGDPなどに反映されます。

これは、誰もがわかりやすい尺度と考えられます。しかし全てをお金に換算してしまうと、人間関係から孤立します。

こういう方は、お金が生活や人生の目的になっていることでしょう。

お金はなくてはならない「大切なもの」です。

しかし皆さまがより良い人生を送るための「手段の1つ」とお考えになってはいかがでしょうか?

真面目にコツコツ頑張ればお金が入ってくると思っていた時もありました

現役世代にとってお金は労働の対価なのですが最近は本当に砂漠の逃げ水のような感じになってきていて、働けど働けどお金が逃げていきます。お金持ちの人のところにはたくさん集まるのに、そうでない人のところにはどんなに仕事を頑張っても集まりにくい社会になりつつあります。まるで意思を持った生き物みたいで、追えば追うほど逃げていくような感じですね。

また、お金をたくさん持っている人は偉い人という見方もできますが最近の私はお金を持っている人は悪い人と思うこともあります。たとえば「一体どんな悪いことをすればあんな豪邸や超高級スポーツカーが買うことができるのだろう」と思うこともしばしばです。冒頭にお金は労働の対価と書きましたが、度を超したお金持ちの場合は悪いことをした(他人を不幸にしていた)バロメーターでもあると考えてしまいますね。かなり性格がひん曲がっているかも知れませんけれども、一部の政治家やブラック企業の経営者一族などを見ると正直そう思ってしまいます。

お金の存在は冷静な判断が出来るようになる

お金の存在で争い事が起きたりトラブルになる事もたくさんありますが、私自身はお金の存在があるから自分が冷静でいれるのではないかと思っています。

もしもお金というものがなければ、人は本能で生きるようになり、冷静さにかける行動をお金があるとき以上にしてしまうと思うのです。

お金の存在によって、例えばどんなに美味しい食べ物があっても支払を考えて我慢する事が出来ますが、それが全て食べ放題で無料となれば欲のまま食べてしまいます。

勿論お金持ちならば支払の心配はないかもしれませんが、だからといってお金持ちを妬む事もなく、自分が支払えないのだから仕方ないと冷静に諦める事も出来るのです。

お金がなければ皆平等と感じ全員が我慢する事を嫌がるかもしれません。

お金の存在は己を知る事でもあり、冷静でいられる大切な役割があるのではないかと思っています。


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